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モラトリアム系ゆとり大学院生の肩透かしな毎日

わたしにとって東京は些か慌ただしすぎる。



先に言っておくと、
わたしはたぶん東京出身である。


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「たぶん」としているのは、父の仕事の都合でいろんなところを転々としててちゃんとした地元みたいなものがないからである。出生地(生まれたところ)は明確だけど出身地はかなり曖昧。だから馴染みのある東京を便宜上出身地としている。


東京にいた頃から人の多さにうんざりすることは正直あったけど「こんなもん」と割り切ってる部分も多く、心を無にして満員電車に乗り込んでいた。時間割をできるだけラッシュを回避できるように組んでいたのも今となってはいい思い出。


だけど一昨年の4月に仙台にきて。満員電車とは縁のない生活を送るようになって*1。改めて満員電車の異常性を意識せざるを得なくなった。人が住んでいる(住める)エリアと働くエリアを考えるとこればかりは仕方ないとは思うけど。


別に満員電車に限らず、東京は「慌ただしい」という印象を抱いてしまうことが増えてきた。政治・経済・流行などあらゆる分野の最先端を常に走っていることに伴ってか、東京近郊に暮らす人も生き急いでいるように感じられることがある。


一昨年までは、やれハワイのパンケーキ屋が原宿に出店しただの、ニューヨークのブランドが日本に初上陸しただのそういう時事ネタとも呼べない話に対して常にアンテナを張っていた。自分が行くか行かないかは置いといて、知っておく必要があるような気がしていたどころか、嫌でも情報がインプットされていた。(しかもその多くが無意識的に)


それがわたしの場合、仙台に越してから気にならなくなった。パリもニューヨークも東京さえも遠い。インスタ映えする新スポットもただのローカルネタだし、別に知りたいとも思わなくなった。


こればかりは合う合わないの問題だと思うし、情報を拒んでいるという点では勿体ないことをしているのかもしれない。だけど、「流行っているから」とか「みんなこの話してるから」と言った場合、多くは限られたエリアにおける話であるように思える。そのエリアから1歩でると遠い街の問題になり、関心も弱まる。例えば、仙台の有名百貨店「さくら野」が潰れたと言ったところで、それを気に止める人は関東にはそういないだろう*2


他所様のことなんて所詮こんなもん。それがいくら大都市東京であっても、例外的ではない。


だから東京の人間が東京の忙しさと対峙していればいいし、それ以外の人間はそれを知らないことも有り得ることは念頭に置いてほしい。


何の地盤もないわたしが将来的に生きていくのは恐らく東京であろう。でもわたしにとって東京は些か慌ただしすぎる。だから少しの間、仙台でスローライフを満喫したい。


*1:念のため補足しておくと、仙台にもラッシュはある。しかし、わたしの住んでいるエリアと大学までのルートでは所謂通勤通学のラッシュには遭遇しなくて済む。

*2:倒産したのは2017/2/27のこと。突然の出来事だったという。(河北新報オンラインニュース、「<さくら野仙台破産>突然の閉店 利用客驚き」参照)